1961年 アメリカのユーモア誌「MAD」のパロディ広告 1961年
映画「HELP!」でジョン・レノンも読んでた雑誌「MAD」表紙とパロディ広告がFlickrにたくさんあがってて嬉しいです UP主はJasperdo 本格的なアーカイヴはこちら
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1966年
新製品をバラしてみよう、の「暮らしの手帖」同様、「MAD」は皮肉と風刺やりたい放題の雑誌、なので、スポンサーが一切入っていない 裏表紙は毎月パロディ広告でした
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1960年
![[mad175id.jpg]](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjShoH13iUhTM4rXe-KFQaCCLZHePeV3S4UwZhmlBU2AoFnQzosBVq2I_iWqsNnmdzSTZxs5niGJuHxfphadVE2t5eeg6TkYKa8PX_D9LHUG8hyv17MpI5zdR9iid2CXZyZdNr4gD3QxeQ/s1600/mad175id.jpg)
素晴らしいアーカイヴ、Doug Gilford's Mad Cover Siteより 笑顔の少年はアルフレッド・E・ニューマン 1971年「MAD」の表紙
赤塚不二夫がナンセンス・ギャグを極めんと渡米、「MAD」の編集部を訪れたのも71年 そのカルチャー・ショックによって生まれたのが傑作「レッツラ・ゴン」や少年マガジンのほうの「天才バカボン」と聞きました 2chのいわゆる「ネタスレ」も、殆どは赤塚の成した偉大な仕事を知らず再現しているように思います (現在のWikipediaの「精彩を欠く」との表現は間違い 理解されなかった、というだけ)
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via 実用
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著者: 赤塚 不二夫; 新品 ¥630
アツくなりすぎ 話を戻す
「MAD」っていえばオレ筒井康隆やビックリハウスに夢中だった頃に初めて買った海外の雑誌
そもそもは片岡義男と小野耕世、マッド・アマノ監修の日本版ベスト「マッド傑作選」を読んだのがきっかけだった
![[ciro_boo-img600x450-1183440485008.jpg]](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgw_hsdijfyG3EgBPG3DQRJj3PFJGkQjSTPFdk1QjmXucU3Rx_P-rpEsdVdhNZ_ubff7DHwIpPwVcw2j9C90AQ-kY5qCj_MRY_Bk7GhjtHvojKNjDF0tw3gg3aLZbZwOQ4sFUoVhm6OXJo/s1600/ciro_boo-img600x450-1183440485008.jpg)
アメリカ風刺史はやわかり 映画やTVのパロディ、ナンセンスに徹したサイレントや「スパイVSスパイ」に折りたたみ漫画「MAD fold-in」、図版豊富で最高の本よ 古書で見つけたら買っといて欲しい
You Tube、「MAD」が出してたコメディ・レコードも大量に聴けます 検索
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