1975年 上演当時の評 30時間市外劇「ノック」より
1975年4月19日午後1時、東京都杉並区阿佐ヶ谷の町は、天井桟敷による市街劇の舞台と化した。
同時かつ連続的に演じられる18の演劇。演ずるのは、天井桟敷の俳優であったり、阿佐ヶ谷に住む人々であったり、または全国から一枚の地図を持って訪れた人々であった。
「観客ごとバスで引っ越す変なお芝居」(中日新聞)
「何事かと路上でバスを止めた、役者、観客約五十人がパトカーと時ならぬ街頭演劇」(朝日新聞)
「夜の神宮外苑で芝居がエスカレート、大暴れ、殺到するアベックの苦情に警察カンカン」(内外タイムス)
「ハイジャックならぬリビングジャック!」(東京中日新聞)
これ何十人も阿佐ヶ谷の町を戸別訪問したため、110番通報で幕、となったそうな 天井桟敷主宰の寺山修司がつねづね唱えていた「見えない劇場」の具現化 「5年経ったらもう一つの目をえぐり出す」小杉武久の名前も見える
市外劇「ノック」台本も読めるよ 要T-Time Plug ブラウザ入れるのダルいけどその価値はあります
寺山の追悼特集で、たしか山田太一(だったと思う 乞う御示唆)の、大意こんな話を読んだ
「寺山修司の前衛演劇に自分は刺激されつつ、同時に疑問も感じていた
たとえば彼らの新作上演に出向いたところ、すべての扉に椅子が高く詰まれていてホールに入れない
聞けば「客席から観客を締め出す試みなんだ」という
こんなものが演劇であるものか ひとを馬鹿にした話だ、とずいぶん腹が立った
今はあのころの熱が懐かしい あんな演劇はそれ以来、お目にかかったことがない」
1982年のインタビュー 演劇について
あの人に会いたい 寺山修司
寺山修司入門は「家出のすすめ」
家出のすすめ
著者: 寺山 修司; 新品 ¥500
寺山修司、You Tubeの主なところを
TVドラマ「一匹」 1962年(これは怖かった)
日本中央競馬会のCM 1973年
アメリカ市民へのインタビュー 1967年
天井桟敷「盲人書簡」 1974年
天井桟敷「人力飛行機ソロモン」 1971年
Stage6、寺山修司の実験映像ワールド 消されてたらUBUWEBへ
UBUWEB 寺山修司と谷川俊太郎のビデオレター 1982年
寺山映画、一本なら「田園に死す」をおすすめ 1974年
田園に死す
「好きになった」: アングラ黄金時代
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