via GenerationPULSE NY Times Magazineの引きこもりレポートより 挿絵はZeus Rey Tindugan
TsunamiとかHentai、Bukkake同様、Hikikomoriってワールドワイドな日本語なのね
英語版Wikipediaによれば日本だけじゃなく、韓国、台湾、中国にも見られる現象とのこと 経済成長を遂げた、または続行中のアジア圏に集中してるのが面白いなぁ
英語ではsocial withdrawal 圧倒的に男性が多く、当然ながら低所得者層には起こらない 鍵のかかる自室&ネットに繋がったパソコンがなければ、引き篭もりを続けるのはむつかしそう
You Tubeは【2ちゃんねる】ガチで数年引き篭もった事のある奴しかわからない経験
多分ほとんどは20代前半の子なんだろう 彼らの言う、世間から圧迫されている、みたいな感覚が全く理解できない若人は今やそんなにいないと思う あまりに脆い精神、とは思うけれど
ところで引き篭もり文学の金字塔ったらドストエフスキー「地下室の手記」
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プロジェクト杉田玄白に無料公開されているこの名作は、天才の入門篇にピッタリ 始終世を呪い己を呪い中二病まるだしでボクはボクはト大騒ぎする齢四十のモノローグは150年の時を超えてなお痛快そのものであります
君たちはこう叫ぶ(ただしその叫び声をまだ僕に与えてくださろうというのならだが)。誰も君から意志を取り去る者などいやしない、私たちはただ何とかして君の意志が自分から、自らの意志で、君の正しい利益や自然法則や算数と一致するようにできないかと努めているだけなのだと。「地下室の手記」ドストエフスキーより |
省みれば ひきこもりは「治る病気」であり「社会問題」とされるこのご時世に、ドストエフスキーが血眼で掴んだ「確固たる自分」はもはやとっくに古くなった
またぞろ自分探しかよ 「理性」?「真実」?何だそりゃ
「学校へ行け」「働け」「人と話せ」「恋をしろ」「まともな人生を生きろ」
だがしかし 外出せずとも喰えるガキどもに向かって無理から「欲望」を植えつけようとて叶わないのが実態でありましょう
自分とはすなわち自分の欲望のこと 自分の欲望と他人の欲望を取り違えることが、ドストエフスキーにはできなかった 「地下室の手記」は罵詈雑言と自己正当化のオン・パレード 2chに集う現役ひきこもり諸君とはその点全く違う 不満だらけの主人公に「どうして皆のように振舞えないんだろう」みたいな悩みはカケラもない
おまけ ちょっといい話
わたくしの高校時代、友人宅で毎日のように雀卓を囲んでいた時期があります
カップ・ラーメンをすすりつつ、ヤングジャンプや少年マガジンだらけの友の本棚にフト目をやると、
一冊だけあった「字ばっかりの本」がこの「地下室の手記」でした 新潮 紺色ひげのジャケ
うわぁ お前、ドストエフスキーなんて読んでんの?と手を伸ばしたら
「やめろよ!さわんなよ!!」すごい剣幕で怒鳴られた 普段は温和でおとなしい奴なのに
何でそんなに怒るかなぁ 照れなくったっていいじゃんか
「照れてんじゃねーよバカ とにかく、さわんなよ 関係ねーだろ」
地下室の手記
著者: ドストエフスキー, 江川 卓; 新品 ¥420
ドウテイポエム 一生童貞
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