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2008年3月30日日曜日

単に「嫌い」のひとことが

 学生時代にバイトしていたレストランは、仕事がひけてからおやつタイムがあった

 閉店から終電までの2、30分 若いもんどうしが余った食材を囲んで、四方山話に花を咲かせる憩いのひととき
きっかけに恋が芽生えたカップルもいたし、疑似サークルみたいな親睦の場と思ってくれたまえ
10代20代の彼らの話題といえば、主にTVや知人の噂話 

 そこで「俺、あいつ嫌いだからなぁ」と口を滑らせたことがある

 噂の主は マン・ツー・マンで俺と話すときと大勢でいるときの態度のブレが激しい人で、面倒くせぇ、とひそかに思っていた
口数すくなく特に目立つタイプでもない その彼がやめる、という話を受けての発言
「へー」で終わるつもりが、「ええええええー?」と凄い反応を受けた

 何で?なんで?なんで?「イヤ、あわないってあるでしょ 人と人だし」
じゃあさ、ヒサミチさ、俺のことどう思う?「・・・どうって?」

 俺のこと嫌い?

 「・・・いや 愛してるってほどでもないけど べつに嫌いじゃないよ」
俺は?俺は?とむさくるしいオトコ数人マ顔の質問攻めになって冷や汗をかいたことがあります 怖かった

 付け加えればその職場のわたしは人気者でもなんでもない どちらかといえば仕事が遅くて馬鹿にされていた
単に「嫌い」のひとことが何でそんなに受けるんだろう



 振り返ってみれば 
質問の彼らもふだん上司や同僚をさして、阿呆だの使えないだの陰口をたたいてるんだけど
「きらい」って言い方はしないんだよね 

 読者も思い当たると思う 旦那や友人、親や上司 いつ会っても同じ相手の同じ悪口ばっかり言う人いるでしょう 
たいてい「人の気持ちがわからない」「馬鹿だから言っても仕方ない」「決して嫌ってるわけではない」
あれって本人「きらい」を抑えてるんじゃないか 単に虫が好かないんだ、と認められない

 愛が理屈ぬきなら憎しみにだって理屈はないだろうに
「コレコレコーだからコーで私はコー思う でもあのひとはけっきょくコレコレコーで」とそういうときだけ理屈をこねる
ご婦人がこうなったら右から左に何を言っても黙って聞いて、うんそうだね ひどいなー、と〆るとやらせてくれるらしい 勉強になるだろこのブログ



  嫌いをそのまま公にするのは子供の特権 世間一般にネガティブな発言にはエクスキューズが要る 
「道理に従わない」「空気を読まない」「期待に応えない」裏返せば奔放である無頼である、だからこそ好きって場合もあるわけです

 たぶん彼らが理屈抜きの「嫌い」を避けるのは、
「自分は(あいつと違って)道理に従っている 空気を読み、他人の期待にも応えている だから嫌われることはない」
って心理では 好き嫌いではない公憤なのだ 憎しみでなく教育である しかしソレ僕に言われても



 *こないだ池袋でバス待ってたら ぎゃあぎゃあ五月蠅いガキを咎めるに親父が蚊の鳴くような声で
「言うこときかないと、パパ、××ちゃんのこと、きらいになっちゃうぞー」

 *ドキュメントで見た19歳 もとシャブの売人 望まず罪に手を染めた、との発言に、真意を問われて

「先輩が怖かった 友達を失うのが怖かった 彼女に嫌われるのが怖かった」

 まこと人を支配するのは愛情也
「愛されたい、けど嫌われたくない」の葛藤は思春期永遠のテーマであります
「私は君を嫌わない だから、君も私を嫌わないで」と、みんなひそかに思ってたりして 
「君が私を嫌うなら、私だって君を嫌ってしまうよ?」とか 細菌兵器の条約みたい



 ここまで書いて思い出した

 小学校で「わたしの親友」発表の授業があった 教師が一人ずつ当てるわけ
「××ちゃんはわたしにリリアンを教えてくれました 大好きです」みたいなの

 タカスってちょっと変わり者が指されて、そいつの発表はこんな感じ

「僕には親友がいません 友達はいらない 中学は私立に行くし、みんなと進路は別々だから 
僕はこのクラスのみんなのことを好きじゃないので 嫌いなので、すぐ忘れると思う 
みんなもいまは表面上お互い仲良くしてるけど、大人になったら忘れると思う」

 いつもヘラヘラしてる男で、生活連絡帳に毎日5時間勉強してるって申告してた
TVも見ないしマンガも読まない みんなで問い詰めても「嘘じゃねーよ」
成績はたしかに上位なんだけど、頭がよさそうに見えない子だった 
お母さんが17のときの子で、すごく美人って噂だった

 自分はタカスの発表に衝撃を受けて、鉄棒の陰でヘッドロックして聞いた
お前、俺のことも嫌いなの?俺のことも嫌いなの?
「いてーよやめろよー」「ヒサミチのことは嫌いじゃねーよ」
離すとシャツの埃をはらって、おどろいた、という顔で「ほんとだよ」

 それまでそんな風に言われたことがなかった 考えてみたこともなかった
自分が誰かからわけもなく嫌われているなんて このオレが!

 かれは私立に行かなかった 高校に入っても童顔で見た目がほとんど変わらない
得体の知れないところがあって、自分はタカスが好きではなかった
たぶん、あのクラスに、タカスを好きな奴なんていなかったと思う 

 タカスは俺を忘れたろうけど、俺は一生あいつを覚えているだろうなぁ



  あ、あと、「愛される人になりましょう」「他人のいいところを見つけましょう」よく聞くけども
 世に言ういじめ問題って、人を嫌いになれる子はあんまり被害にあわないような気がするんだよね 何となくだけど

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電脳ポトラッチ: 人を信じられない人のための自分語り

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