自分は立川談志という噺家が長く鼻について仕方がなかった 今でも打ち解けられないところがあります
大向こうを狙った「痛烈な毒舌」に 「落語は人間の業の肯定」といった理論に 未来の落語を背負って立つのは天才の己しかいない、との大言壮語に 噺家の前にタレント文化人を見てしまう
席亭 立川談志の「ゆめの寄席」CD全集
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もちろん批評家として、芸の目利きとして、彼がずば抜けた才を持っているのは著書や「ゆめの寄席」で充分承知
しかし天才や名人とは大きく出過ぎだろう 談志は旦那やお嬢様、上つ方の育ちのよさが演じきれない 強調がニュアンスを殺している 客を掴もうと勇むあまり、行き過ぎて圧倒してしまっている 我々は高座を下から拝聴する格好に
彼の「芝浜」はそんな俺が聴いても凄い 大した噺家には違いない それだけならどうということはないのですが、古今亭志ん朝が亡くなったおりの、
「俺が志ん生なら彼(古今亭志ん朝)は文楽だね」との発言には血圧が上がった
このひと、古今亭志ん朝って誰だか知ってるんだろうか どれだけの仕事をしたひとか、わかってて言ってんのかな
小林信彦「名人 志ん生、そして志ん朝」をひかせてもらえれば
「志ん朝さんには生涯ライバルがいなかった」「ライバルを自ら任じている人はいたようだが」
あれだけ落語を愛している人が、自分のことだけはわからない 志ん生と文楽は昭和を代表する名人であり、自他共に好敵手とみなされた二人 嫉妬が言わせた何気ないヒトコトでしょうが、違和感は拭えない
しかし省みるに談志なら、古今亭志ん朝でしかありえない、あの、語られる側の幸福感について上手く言えるんじゃないかと、コレは今でも思っています
古今亭志ん朝「愛宕山」(1から3まで自動で移り変わります)
自分が落語にとりつかれたのは図書館で古今亭志ん朝の人情噺「文七元結」CDを聞いてから
落語名人会 4
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筋立てそのものは100年前の御伽噺みたいなもんですよ たけしやダウンタウンとは全く違う
「笑える」とかそういうもんじゃない その口調が描写がボケっぷりが聴いててとにかく嬉しいんだよね 幸福なのよホント、おかしな宗教じゃないけれど 何度聴いても同じところで涙が出る溜息が出る「莫迦だなぁ」と声が出る ぼくは初めて幸福を知った 古今亭志ん朝という男に恋をした このひとの音源全部欲しい
JANISに通って残らずダビング 通販でボックスを購入し、のちにWinnyというツールを知って、そこで未ソフト化映像を何十本とダウンロードした 志ん朝の未発表映像はまだ国立劇場にたくさん残されていて、数百円で見ることができる(要電話予約) 猛暑の視聴覚ブースにテレコをこっそり持ち込んで、上半身裸に汗びっしょり CD成っていない高座を息を殺して録音した 21世紀の話だよ 俺も昔の小学生かよ 志ん朝の口調を何度も反芻し、友人たちにCD-Rを渡して「とにかく」を連発した とにかく聴いて欲しいんだ これは凄い芸だから
「酢豆腐」1985年
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「五人廻し」
「大山詣り」1984年
「夢金」
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「首提灯」
自分は芸事がないと生きられない 観てない映画や未読の本、まだ封を切ってないCD、何か面白いことないか面白いことはないかといつも探している 正直に言えば自分の人生は本当に孤独で退屈だ 世間の人たちも五十歩百歩だろう、我慢してるんだろう、鈍いから平気なんだろう、と密かに思っている 大学教授が研究生に「研究というのはつまらないものです」と言うのを聞いた「仕事なんて、そもそもつまんないもんだろ」「つまらないから勉強なの」
恋に落ちた人間が「恋愛なんてつまらない」なんて言うだろうか
自分は恋人を探していた そのことに、みつかるまでは気が付かなかった
自分が追いはじめてすぐに古今亭志ん朝は糖尿病をこじらせて死んだ 「談笑中、ウォッカをどぼどぼ注がれたグラスが目の前で次々干されていく」「コワかった」とは評論家の話
小さん、圓生、柳橋、三木助、文楽、そして実の父である志ん生
素晴らしい芸の例に漏れず、志ん朝の録音には沢山の先人達、偉大な噺家達の霊が降りてきてそっと息している
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古今亭志ん生「風呂敷」
暑苦しい文お許しを 愛や幸福について語るといつも、目がとんがらがって唾を飛ばすのは、何でなんだろうかなぁボクは
同じ枕、同じスジ、同じ落ちを暗誦するほど聞いてなお、落語に厭きないのは何故だろう、と
その幸福について、インターネットで誰かがこう話していた
「眠る前にお祖父ちゃんの昔話を聴いてる感じなんだよね 眠いんだけどまだ眠りたくない、みたいな」
落語のCD、DVDってレンタルじゃまず見つかんないです 気になるかたはご近所の図書館へ
「好きになった」: You Tube 古今亭志ん生
- ヒサミチ
- 「好きになった」はインターネットの大道芸収集サイト 風に散らばるチラシやビデオ、イイ話を集めています
*自作音源 *旧「好きになった」 *好きになった」がおすすめしたい *はてなブックマーク *Twitter *Translation in ENGLISH
2007年11月26日月曜日
You Tube&ニコニコ動画 古今亭志ん朝「愛宕山」「酢豆腐」「五人廻し」「大山詣り」「夢金」「首提灯」 古今亭志ん生「風呂敷」
タグ: 落語
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11 件のコメント:
立川談志が好きでは無いのと、古今亭志ん朝について熱く語るのと、の連携が悪く文章としてまとまりが無さ過ぎて、「一体何を伝えたいのか」が判らずモヤモヤする。
離陸点と着陸点を予め決めてから文章を書いて頂けると読みやすい。読み手としては、はて共感していいものやら、悪いのやら、判らないのだ。
扱う題材が題材だから、尚更お粗末。
どうぞお好きに>共感していいものやら、悪いのやら
もうひとかた、わざわざ談志と比べることはない旨、書いてくださったかた(のちご自身で削除)がいました
もとより落語ファンは志ん朝を知っていて当然ですが、このブログを読む人は、ほとんどその名をきいたこともないでしょう なので
初心者のかたに奨める際、動画を
一度だけでもクリックさせるために立川談志のネーム・バリューを使い、対比させました
つまり、この記事は落語に少し興味があるけど、触れたことのない人向けなんですよ
伝えたいのは動画の内容 文は添え物
談志の毀誉褒貶話題に富んだキャラクターは落語会全体の活性化に大きく貢献していると思いますよ
落語が好きで、「志ん朝」で検索してこの記事に到達したものの、なぜか苦いものをかみつぶしてしまったような気分になってしまいました。
わたしは談志も志ん朝も好きですからね。
一席良い落語を見たあとのその幸せな気分で、人の幸せを壊さないような文章をあらためて編集し直してみてほしいですね。
まあ、落語ファンは傷つかないで済む生き方を知ってる気がしますから、初心者のためにぜひ。
あなたと私は違う人、好みは違って当然ではないでしょうか
>人の幸せを壊さないような文章をあらためて編集し直してみてほしいですね。
「人の幸せ」?私もいちおう人ですけれども、「あなたの」幸せってことですか この記事に「他人の幸せを守る」というような意図はありません
己の幸せについて書きました 談志を対比させた理由は、上のコメントを参照してください
まともな批評には具体的な根拠が必要で、談志の高座に関しては、自分はその根拠を記事中に挙げています
落語の紹介サイトが少ないから、この記事目立っちゃうのかしら
こういうブログ、つくるのももタダなら映像貼り付けるのもタダですよ
ひとつ、ご自分から発信なされたら如何でしょうか
http://tinyurl.com/3d5hpe
この記事読んで「傷ついた」「苦いものをかみつぶした」落語ファンの方なら、コメント欄の匿名でなく、独自記事を書いたほうが、ひろく読まれるし盛り上がると思いますよ
談志も俺は絶対正しいとか、世の中代表してるんだとか、思ってるんでしょうかね。まったく困ったもんです。
いわゆる文化人としての談志なら、個人的に好きですよ 現代落語論シリーズはかなり読みでがありましたhttp://tinyurl.com/3dfod9
この本の題名にも大笑い
http://tinyurl.com/394j9y
その気持ちわかるなー、と
肝心の噺にしろ、みんながあれだけ褒めるんだから、オレも一緒に感動したいし、何枚CD聴いたとて、まだ「最高の高座」を知らないだけ?って気持ちも未だにあります
http://tinyurl.com/2o6jbf
癖の強い人柄ばかりがアンチと信者に取り沙汰されて、実際の芸があまり語られない、いまの状況はちと不毛
そういう意味でも初心者用に魅力的なプレゼンは必要なのかも
談志さんは独特の文法があって、それがファンの間でも解釈がサマザマだったりするのが厄介(笑)。おおむね好意的に受け取る人の場合であれば、その文法の解釈というのは(好意的に受け取るのだからあたりまえかもしれないけど)、おおむね一致するように思う。志ん朝さんが死んだときのコメントにしてもそう。私は談志さんのコメントはある意味素直でいいと思いますけどね。一言で言い表せる関係でもなかったわけだし。
志ん朝さんに対しては複数回コメントを出してますし、youtubeにもいまだ消されないで残っているのがあります。それを見ても私は談志さんは志ん朝さんに対しては「愛情一杯」という気がしてならないです。と、同時に当然落語の解釈が違うわけだから、そこに談志さんの意見というのが出てくる。亡くなった人に対して意見を新たに言う(しかもなくなって間もないというのに)のは不謹慎と言えるのかもしれないけど、私なんかはこれがいわば「談志の文法」だと思うんですよ。
「あの人もいろいろ問題あったけどまあ水に流そうか。いいやつだったもんな」というのが亡くなった人に対する普通の態度だと思う。でも、談志さんは水に流さないでこれを機に分析を始めちゃう(笑)。だから非常に無愛想にも映るし、不謹慎にも映るけど、やっぱり全体的に見ると志ん朝さんに対して尊敬をすごくしていたし、ライバルだったし、大好きだったとしか思えないですねえ。実際「オレをハッとさせてくれる唯一の落語家だった」って言っているわけですから。
私はそういう愛情が見えた時点で、談志さんが志ん朝さんに何言っても許しちゃうみたいなところがある・・・というのはやっぱり私が談志ファンだからだろうなあ(苦笑)。
談志ファンの方がそう思われるのは了解なんですが、「素直な」いち噺家の主観が、目立つ人の意見、というだけで、のちのち落語史の常識になったら困るなぁという気持ちです
「ライバル」と称するには、あまりにも、二人の芸に、歴然と差があるわけですから
「俺は旧態依然の噺はしない 新解釈で落語に革命を起こす」と若き談志が怪気炎を上げた折に、志ん朝が
「兄さん(談志)は、やらないんじゃなくて、
ただ、できないってだけじゃないか」
と応えた話もあります
もちろん、本当に天才、誰もが認める名人であれば、何をいってもいいと思います むしろ大ボラバンバン吹いて活性化させてほしい
問題は、それが、談志かよォ・・って点なんですよ
おもしろい人ではあるけれど
みんな!落語ならもっといいのあるじゃんか!!というつもりがこの記事です
芸とキャラクターの問題はゴッチャにしない方が伝わると思いますよ
う~ん、芸とキャラクターの問題はいっしょにしてないですよ。私はむしろ切り離して見るようにしてます。だから私は志ん朝さんの落語は大好きですが、志ん朝さんの全ての噺が好きというわけではないです。やっぱり噺によって楽しめないという部分が出てきます。これは談志さんの場合もそうですし、全ての噺家さんに対して、私はやっぱりそこで語られる噺家さんの噺そのもので楽しむようにしてますし、「それしか」出来ません。
私は談春さんが言われている「落語というものは、誰誰がうまいとかそういうことじゃなくて、個人個人で好き嫌いで判断すればいい。子供のときに親に昔話を語ってもらって、それを聞いて楽しんだように、誰々に語ってもらうのが一番心地いいとか、そういうことで判断していけばいい」という意見に同調します。そういう意味で私は志ん朝さんも談志さんも好きです。ここに上手下手の概念をあえて持ち込むとするならば、志ん朝さんや談志さんは、私が楽しめる噺が他の噺家さんと比べて多いということになります。そういう意味で私はヒサミチさんほど談志さんと志ん朝さんとの間に「差」など感じないのです。歴然と差があるとはちょっと思えないですね。
>落語というものは、誰誰がうまいとかそういうことじゃなくて、個人個人で好き嫌いで判断すればいい。
伝統に裏打ちされた巧拙の基準を捨てるなら、例えば、弟子の稽古をどうやってつけるんでしょう
師匠が、「なんとなく好きだから」「嫌いだから」で恣意的に矯正してるのかしら 困った話だなー
(一見さんにはそれでいいのかもしれないけれど)
個々の好き嫌いの話は繰り返しになりますね
このへんで
あ、談春さんの話補足。「好き嫌いで判断すればいい」っていうのは一般聴衆の場合。「噺家の間では上手下手の話はありますが・・」と前置きがあります。
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