自分の写真
「好きになった」はインターネットの大道芸収集サイト 風に散らばるチラシやビデオ、イイ話を集めています 
自作音源 *旧「好きになった」 *好きになった」がおすすめしたい *はてなブックマーク *Twitter *Translation in ENGLISH

2008年2月7日木曜日

「こんなものはアートじゃない」と言う前に

「以前、家庭用のジューサーミキサーの中に、水を入れて、その中に何匹もの金魚を入れて泳がして、そのままスイッチを入れて、水が真っ赤に染まって行く様子を写真に撮
るという、あたしには理解できないニポン人の「芸術家」がいましたが、今、南米のコスタリカでは、「犬の餓死」という芸術が行なわれています。

展示会場の一角に、何日もエサを与えていない餓死寸前の犬をつなぎ、その犬が餓死して行く様子を人々に見せるというもので、これが「芸術」なのだそうです。
以下のサイトで、その非人道的な「芸術」を紹介していますが、この写真のワンちゃんは、この写真を撮影した翌日に餓死したそうです。

http://petloverstips.com/ForTheLoveoftheDog/news-updates/a-dead-dog-as-art-petition


このサイトでも言及していますが、これが「芸術」なのでしょうか?
この行為を行なっている人たちは、「芸術家」なのでしょうか?

あたしには、キチガイにしか見えません。
そして、このキチガイどもは、今後も、この「犬の餓死」という「芸術」を続けて行くそうで、次の会場もすでに決まっているそうです。」きっこのブログ: 署名のお願いです!より

考えたことをいくつか

[fd17a293.jpg]

via Guillermo Habacuc Vargas

*「アート」か「アートじゃない」か、という挑発者の文脈に従うのはヘン

展覧会に餓死寸前の犬をつなぐ「アーティスト」に「こんなものはアートじゃない」と指摘するのはナンセンス
それなら聞こうアートとは何か、と逆に問われて 「犬かわいそう」派がまともに答えられるとは思えない
「こんなものはアートじゃない」という物言いが不毛なのは、アートに決まった定義がないからです 

付け加えれば「アートとは何か」議論に、外部の基準(動物愛護とか、一般倫理とか)を持ち込んでも勝ち目はない
20世紀の芸術界では、UFOと同様に、定義しえない表現をこそ、「前衛アート」と定義しているからして、弾圧したいなら法を改めさせるのがスジ

たとえば「前衛アート」と称してアフリカの飢えた孤児を連れてきて展示し、メシをやらないパフォーマンスはどこの国でも不可能なはず 
「アートで社会を挑発する」とはモノの言いようで、要するに皆さんきちんと法に従って「やりすぎないように挑発している」わけです 


*あなたを不快にさせるための「アート」に「不快」を表明する前に

世界中のこういった前衛アーティスト達はほとんど100%、アートでお金を稼げていません 誰も彼らを知らないからです 
彼らが喉から手が出るほど欲しいのは話題と知名度 
悪名もまた名なり その意味で、Guillermo Habacuc Vargaは「うまくやった」んですよ

20世紀のアートは「発見」の歴史です どこにでもある便器を飾り「泉」と名づけて世界を驚かせたデュシャンを筆頭に、前衛アーティスト達は「世間を刺激し、挑発すること」を己の役割と心得るようになりました 

多数決に対する異議申し立て、物議を醸す宣言のもと小市民的タブーを侵す、こういった芸術運動がさかんだったのは学生運動の興隆と同じ頃、60年代までの話です

「私が証言にたったとき、検察官が最後に、「芸術と犯罪についてどう思うか」と聞いたので、正直なところびっくりしたものだ。「芸術家の犯罪」ではなく「芸術と犯罪」である。もし、現実生活の理論をこえようとすることが、「犯罪」だというなら、芸術は常に犯罪でありうるものだ。というより、犯罪となるべきである。しかし、われわれは、そういうことを犯罪とはいわないだろう「芸術」と呼んでいるのである。

 あるいはすべての芸術がそうではなくてもいい芸術もわるい芸術もあるのであり、いい芸術こそ、そういうのにふさわしいという考えもあるだろう。たとえば「模型千円札」はわるい芸術だという具合にである。しかし、芸術にいいわるいがあるのではない。われわれの意識を醒めさせる度合いがあるだけである。」模型千円札事件――芸術は裁かれうるのかより

時はくだって今日のはなし 

「役に立つ」「美しい」「可愛い」だけのイメージは複製され大量生産され、あっという間に消費されるご時世に、「アーティスト」の役目は何か 
たとえばポケモンのデザイナーを普通アーティストとは呼ばないよね 
消費者のニーズに応えるままの職人と「アーティスト」は、どこが違うのか 

ごく大ざっぱに言うと、20世紀以降においては
デザイナーは既成の美観に準じるのに対し、未知の美観を発見するのがアーティスト

わざわざ展覧会にゴミを積み上げたり、野良犬を繫いだりするのはこの思想から来ています 

しかし読者諸賢もご承知の通り、既成の概念を破壊し権威に反抗する前衛のスタイルは、とっくに古くなってしまった 前衛アーティストの仮想敵は今や、官警や保守主義者ではなく、大量消費主義社会をまぁまぁエンジョイしちゃっているオレやあなた方なのよ 今回の件はその一例 
彼らの「表現の自由」を弾圧するのは、他でもない、わたしたち大衆なんですよ
 
アンド 弾圧する側される側、サブカルチャーに代表される「多数決に対する異議申し立て」も世間から消える事はないでしょう 
残虐描写ゲーム問題児童ポルノ法、「芸術は常に犯罪でありうるもの」は今でも有効なテーマなの

問うべきは「アート」というジャンルそのものではなく個々の表現の質のはず

4480029354 東京ミキサー計画―ハイレッド・センター直接行動の記録
著者: 赤瀬川 原平; 新品 ¥998



もうひとつ「これもアートだ!」言ってしまえば何でもアート そのつまらなさは「ひとそれぞれ」相対主義の無気力と重なります

対象を記号と捉えてしまえば何でもいい 野良犬ならどの犬でもいいし、ゴミなら何でもいいってこと
デュシャンの便器が他の便器と違うはずもない どこにでもある便器であり、記号だからこそ発見のインパクトがあったわけ
Guillermo Habacuc Vargaの野良犬も同じ 展覧会の飢えた犬を指して「生命は記号じゃない!」と説くのは無駄に思えます

こういう「アーティスト」やその関係者にとって、全ては記号なんですよ 
彼らはこうして既成観念を挑発してるんです たまげた話だろ でも本当なのよ 

「話題になる→売名」を当て込んだ確信犯をこうして話題にしてしまっているオレも釣られた人間の一人だけれども

[sweetdog.jpg]

via Guillermo Habacuc Vargas


しかし、不思議に思うこと

展覧会の開催中に、この犬にエサをやる客はいなかったのかね 可哀想じゃんか
または、こっそりヤスリで綱を切っちゃえばいいじゃん 犬を逃がして言ってやればいい「これもアートだ!」   

あと、犬猫を殺してインターネットに写真をあげる、ああいう犯罪報道を評して「蚊やゴキブリは殺すくせに」なんぞという人いるわな
あの理屈、不思議でしょうがないんだけど、生命ってことでは人間も同じでしょ 
彼ら、殺人報道に「蚊やゴキブリと同じ」とはあんまりいわないよね  

既成観念を挑発する中途ハンパな相対主義者達は、己を勘定に入れないのが常
みんな、行き過ぎた動物愛護に対する単なるカウンターで言ってんじゃないかな 
殺さずに生きることも、愛さずに生きることも不可能なのに

全てを同質な記号と捉えたら、あなたも記号になってしまう 「あなたじゃなくて、他の誰でもいい」ってこと
そんなこという女はどうよ そんなこという男はどうよ 

4334727891 今日の芸術―時代を創造するものは誰か
著者: 岡本 太郎; 新品 ¥520

コスタリカの野犬事情

名目がアートで、なおかつグロテスクなもの。
大きな写真や動画で紹介しているページを紹介してください。


「挑発する美術家たち」

Hugo Strikes Back!: デュシャンの泉に小便をした人が居る。

「好きになった」: 拳をキャンバスに

0 件のコメント:

「好きになった」がおすすめしたい

月別アーカイブ