「桃太郎 海の神兵」1945年
「Hugo Strikes Back!」HugoさんのTwitterで知ったニコニコ動画「桃太郎 海の神兵」がveohにあがってました
「召集令状が来ましてね、銃剣を持たされますね。あるいは特攻機に乗って敵艦に突っ込んで行きますね。その心境でしたね。監督瀬尾光世と手塚治虫の対談より このテキスト、アニメの歴史に興味のある方は是非読まれたし
この映画でもって自分は大袈裟な言い方かも分かりませんが、特攻隊の隊員になったつもりでもってアニメーションと一緒に自爆してもいいと」
以下Wikipediaより
「日本の海軍省より国策アニメ映画製作の命を受け1944年に松竹動画研究部によって製作され、戦時下の1945年4月12日に公開された国産長編アニメ」
「日本初の長編アニメーション映画『桃太郎の海鷲』(1943年)の姉妹編である。南方戦線のセレベス島・メナドへの日本海軍の奇襲作戦を題材に海軍陸戦隊落下傘部隊の活躍を描き、当時の日本政府の大義であった「八紘一宇」と「アジア解放」を主題にした大作。当時の国産アニメとしては74分という長編作品であり、当時の日本政府、海軍より270,000円という巨費と100名近い人員を投じて制作されたという。」監督は「のらくろ」シリーズ→日本初の長編アニメ「桃太郎の海鷲」の瀬尾光世 撮影は「くもとちゅうりっぷ」の監督 政岡憲三
政岡はアニメーションを「動画」と訳し、日本のアニメにはじめてセル画を持ち込んだひとだそうな
「くもとちゅうりっぷ」1943年
「桃太郎 海の神兵」ニコニコ動画のほうもアニメに近代史に詳しいコメンテイターが集まってて勉強になった
「当時はリミテッド・アニメという発想すらない 全部フルアニメ」「『アイウエオの唄』はジャングル大帝の元ネタ」
「桃太郎と白人のやりとりは「イエスかノーか」の山下・パーシバル会見」などなど
ところで
敗戦後に封印されていたこの映画、ネットで検索すると「ヤバい(笑)」「狂気の時代のアニメ」「何も知らない子供には見せられない」みたいな発言が散見されて不思議 今見ると呑気で牧歌的な作品だよね そう暴力的な描写もない
たとえば「ヤマト」「ガンダム」「エヴァンゲリオン」と比べていったい何がどうヤバいのか
軍務を淡々とこなして敵に備える動物たちは、たとえばアメリカや北朝鮮のプロパガンダアニメと違って青筋立てて怒鳴ったりしない
彼らは己の来た道行く末に自信満々で 静かに「白人からのアジア解放」を信じている 各々の個性が見えないぶん、戦地の細部はよくわかる
「【瀬尾光世(監督)】それから、海軍に作るためには落下傘でやりたいから部隊に従軍させてくれと頼んだ。落下傘部隊は秘密部隊だから従軍はいけないと断られた。根本三郎という戦争画家も落下傘部隊の絵を頼まれていたので、両方で共同戦線を張り、部隊に実際にいなければ脚本も書けなければ、絵も描けない作れないと話して、一週間ほど入隊が許された。結局、ほんらいの戦意昂揚には役に立たなかったこのアニメーションは、客つまり子供に全く媚びていない
【荻昌弘】それは海軍の空挺部隊がセレベス(?)に降りた後ですか。
【瀬尾】降りた後です。だから部隊に行けばセレベスで実戦に参加した将兵がいるからその方達に実際の戦闘様式を聞きたい。それからどういう兵器を使ったか、実際に自分で持ってみなければ絵にならないから、単なるアニメーションだからと言って架空のものじゃ困るから、うんと実証的なものをこの映画では取り入れなければ、長編という長さがもたないということを力説した。」「桃太郎 海の神兵」より
完成度を追求するあまり、スポンサーの海軍省からは苦情が付いた
「【瀬尾】出来ました時は、あまり平和すぎると言うんです。もっと戦闘場面が欲しい、そうでなければ戦意高揚にならないという海軍の意見でした。むしろ褒められるよりも叱られた。」集めたスタッフ70名は次々徴兵にとられていなくなり、完成時に残ったのは15人「【瀬尾】(作品の)中に悲壮的な場面がある、あまりにも悲壮すぎるから。あの中で、偵察兵が偵察に行きまして一人戦死してます。その葬送シーンがあったわけです。これが悲壮すぎて画面が暗くなるからカットということで。それからあまりにも輸送機などが実証的に描かれていて軍規に触れる部分があるからカットということで描きなおさなければならなかった。それで2ヵ月くらい修正部分に手間取ったものですから、結局 封切りが4月になりました。」「桃太郎 海の神兵」より
ほとんど命がけ、で生まれた「桃太郎 海の神兵」は敗戦後、まず見られない幻のアニメーションとなり
「戦争を知らない子供たち」は歴史を知らない大人になって、この作品をこう呼んだ「狂気の時代の右翼アニメ」
DVDは出ていないそうです
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