以下Wikipediaより
「コックサッカー・ブルース(Cocksucker Blues)は、ロバート・フランクによって監督されたローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画。上述の曲のタイトルを題名としたこの映画は、『メイン・ストリートのならず者』リリース後に行われた1972年の北米ツアーを記録している。
1972年のストーンズ北米ツアーは1969年のオルタモントの悲劇(ファンの黒人青年が会場警備のヘルズ・エンジェルスによってナイフで刺され、殴り殺された事件。)以来の彼らのツアーであった。ツアーは実施前の予想通り、エネルギッシュなステージが連日繰り広げられた。バックステージではメンバーによる放蕩、淫らな快楽におぼれる姿が記録された。
本作はフイルムを装着した数台のカメラを周りに据え付け、誰でも撮影が出来るようにして制作された。観客は本作の中で楽屋で繰り広げられるパーティ、麻薬の使用、ローディーたちの悪ふざけ、グルーピーとストーンズの乱痴気騒ぎを見ることが出来る。
本作はバンドの非合法活動の様子などが記録されているため裁判所命令により上映が禁止されているが、様々なブートレグが出回っている。」

「上述の曲」ってのはこんな歌詞 WFMUで聴けるよ
1971年のシングルに「cock sucked(チンポしゃぶり)」「my ass fucked(ケツに差し込む)」は過激すぎる
ローリング・ストーンズはこうして新曲をわざと発売できないようにしたわけです
レーベルを移る際の契約上、曲を作らなければならないけれど、うらみ骨髄のボッタクリ会社に、これ以上金を落としたくない いやがらせ意趣返しで録音したのが「Cocksucker Blues」 宛名はabkcoとアラン・クライン
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Allen Klein |
そもそも、伝説の「悪辣マネージャー」「金の亡者」、アラン・クラインをビートルズに紹介したのはミック・ジャガー 1969年の話
ビートルズを世界のスターにしたマネージャーはブライアン・エプスタイン 彼が亡くなってからというもの、メンバー間の主導権争いと自社アップルの放埓経営は悪化の一途を辿っていた ポール・マッカートニーが新しいマネージメントとして推した男は彼の義父で、残りの三人はアラン・クラインをたてて対抗した 僕らのバンドは「ポール・マッカートニー&ザ・ビートルズ」じゃない しかしアラン・クラインはほとんど何もできないまま、アップルは倒産、ビートルズは解散した 信頼は取り戻せなかった お金はみんななくなった ラブ&ピースの時代は終わった
のちにジョン・レノンは喧嘩別れ、訴訟合戦となったアラン・クラインを思うさま罵ってますけど「Let It Be」をああいう形で出したのも彼の発案
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