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2008年3月7日金曜日

「どうしたの?」

1.

歩き方にめいめい癖があるように、怒るきっかけはそれぞれ違う
伴侶の浮気を知ってなお泰然たるひとが、すれ違っただけの喫煙者に殴りかかったりする 
怒りのツボを押されたわけね

許せないコトはひとそれぞれが本来で、
ましてやこの多様化社会に皆が一つことに許せない許せないと怒っているのは不自然であります 
何か裏があるはずだ

たとえばロック・コンサート 
あれナチの集会みたいだファシズムだ、何故みな同じように列に並んで拳を振り上げイエイイエイと叫ぶのか、と問えば
「そういうもんだから」と答えが返ってくるであろう
観客席でどう振舞うか 彼らはTVで学んでいる 

カート・ヴォネガットが新兵体験を語って曰く
「今までに見たありとあらゆる戦争映画の真似をしたよ」
映画やお芝居は世間でこんな風に役に立っている 

お手本、見本、恥をかかないサンプル集 
われわれの世間的営み全般、「型」が歴然とありますな
たとえばナンパ時面接時 冠婚葬祭時に「自己流」「個性」は通用しない
うまくやってる他人の真似からはじめないとまずは周囲が納得しない

「でもそういうのって、そういう場だけででしょ」と思う読者よホントにそうか
諸君は家族や友人に、愛する人に対して「わざとらしい」と感じたことはないだろうか
「あざとい」「演技がくさい」と

4150501505 ヴォネガット、大いに語る
著者: 飛田 茂雄, カート・ヴォネガット


2.

早朝、近所のコンビニに行く途中、向かいの通り沿いに小さな公園、というか踊り場があって
その真ん中で腹を押さえてうずくまっている女がいた

スリムのジーパンに髪の毛ぼさぼさ 十代終わりに見える マフラーやコートに中近東的色合い
時刻は出勤前で人通りはない 大丈夫ですか、と声をかけた だいじょうぶですか?
「ああー」と唸って返事がない よだれが糸を引いている

救急車呼びましょうか?おなか痛いの?「ああー」

立ち上がると猫背が寒そうで、高い鼻のまわりに目やにがいっぱい 
齧歯目の動物を思わせる硬い表情 

どうしたの?「・・・・」
この辺に住んでるの?「ああー、はいー・・・」

一人暮らし?と問うとかすかに首を振る 
こんなとこ座ってたら風邪ひくよう ウチ、帰れる?お父さんかお母さん呼ぼうか?
「あたし、病気なんですー」
病気なら病院にいかないと

「あたし、ミサトで警察に捕まったことあるんです」
ミサトって埼玉の?何やったの?
「わかんない」「何か、ハカイしたらしい」
たぶんこの子、フシギちゃん、ってやつだな 

自分の短所はせっかちで人になじめないところ 可愛い子ならともかくも

あのさ、ここは人目に立つから、家でゆっくり休んだらどう?通る人心配するよ 
きみんちの電話番号教えてくれたら今、連絡するから 病気なら病院いかなくちゃ

ああ・・・、と間を置きタメイキを吐いて
「病気なんで、もう行くねー」ふら、ふら、と駅のほうに歩き出した 
最後まで目線を合わせない
心配は心配なので、多少追ったけど諦めた 後味わるー

オレ、質問しすぎたか おまわりみたい、と省みてしかし薄っすら不快
・・・何だあいつ、わざとらしい



「わたしビョーキだから」と、外からわからない心の病を訴えて、
付き合いの主導権を握る女性は何人か知っている

メンヘルぶりゃーがって、その甘えに腹が立つ、という声もよく聞くが、筆者はそうでもありません
「世間が悪い」が通じなくなった御時世に、弱い心の緊急避難と思う

わたしがヤなのはわざとらしさ 彼女達の独り善がりな演技であります

「かまって欲しい」「愛して欲しい」「許して欲しい」
本気なら伝え方に工夫があるはずだ 真に迫っていて欲しい
とはいうものの、じっさい病気なら周囲に気を配る余裕はない この論をすこし限定する

正気と狂気のそのあいだ「わたしビョーキ」を訴える境い目のひとにいつも思うこと 
どうしてそんなに芝居がクサい 


3.

「みんなと同じように振舞うこと」繰り返すがそれは単なる演技であって 
あわせて怒ったフリをしていれば、そのうち真に腹が立ってくる 自然に実力がついてくる 

他人と己の決定的な違い、その溝を埋めるには、歩み寄りという名の演技が必要で 
愛とは己を相手に似せること 気遣いという名の愛なくして他者の理解は得られない 
「相手の気持ちになれ」とはよく言うが、超能力者じゃあるまいし、他人の内面なんてわからない
わかるのは表にあらわした型だけであります 

助けが欲しいとき人はどうするか 距離を置きたければどうするか 
見て考えて真似ること、コレ人付き合いのリハーサル
人は型から逃れられない 型から真に離れた者は狂人と呼ばれ疎まれる



一人合点かもしれないけれど、
コンビニの前にうずくまっていた子は救いの台詞を待っているように見えた
「どうしたの?」「気持ち、わかるよ」「ひどい親だね」「君は悪くない」「ボクは味方だよ」
まさか、と俺は思うよジッサイ キミとは友達でもなんでもない 理解しようにも、その手がかりすらおぼつかない

正直、君は大根だ まるで演技がなってない 相手をまったく見ていない
コンビニの前の君が、悲しいんだか、苦しいんだか、怒ってるんだか、俺には全然わからなかった
「じゃあ、ほっとけよ」「関係ない」「わからなくてもかまわない」
でも、通りで腹を抑えてうずくまってる人がいれば、誰だって声をかけるんだよ
「どうしたの?」



2年前、平塚で親に殺された女の子いたでしょ (2006年事件当時のヒサミチmixi日記(再録)

あぁぁもうだめだほんとむかつく。親もうざいし自分もうざいしいらいらいらいら

mixiにそう書き込んだのち、母親に首を絞められて、半年後遺体で見つかった

「むかつく」「うざい」で何が伝わるわけでもない わかるのは彼女の不快だけ
ネットの向こうの読者に対し、どうして具体的に助けを求められなかったんだろう、と自分は訝しい 
「誰かが何とかしてくれる」?「言わなくてもわかる筈」?「誰も私の苦しみを理解できない」?
まさか、と俺は思うよホント

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平塚事件被害者日記

「好きになった」メモ : 何とかしなくちゃ

「好きになった」: パンツを下ろさないでくれ

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