via johndoe40
Carol Eyerman「A surreal study of latex masks」 1950年 ラテックス・マスクの工場写真
「他人の顔」にこういうシーンあったような
1966年 映画「他人の顔」予告篇 (海外版のほうが怖い)
勅使河原宏の世界 DVDコレクション
「・・・思いきって仮面の大量生産を始めてもいい 自由に取り外しのきく顔 親もなければ兄弟もない 味方もいない代わりに敵もいない世界 犯人というものが存在しないんだから当然犯罪もなくなるわけだ そんなありあまる自由の中でなら、あらためて自由を求めたりする必要もないわけでしょう?」「他人の顔」より |
この映画のメイン・テーマ、高度経済成長期に流行った「自己疎外」とか「人間蒸発」って言葉、最近あんまり聞かないね 家出人捜索願の受理件数は年々増えてるみたいだけど 一説には自殺者数の倍だとか
ところで大学の構内に「尋ね人 ××君が記憶を失って行方不明です」とのポスターが貼ってあって 記憶喪失ってホントにあるんだ、とマジマジその顔を見た思い出がある
「他人の顔」でいうところの「顔」は固体認識、外から見た「その人らしさ」の象徴だけど、
主観的には記憶を取り替えられたほうが、よりイッソー「他人」と思う 「自由に取り外しのきく」記憶 何つーか、そのほうが他人っぽい
失踪者は失踪先の新しい職場や家族に「己は失踪してきた」と、まずは告白しないだろう ある程度、過去を偽るだろう 数十年のち詮索する人もいなくなり、自分で自分の過去も曖昧になってしまったら、データ上書き見事他人化終了か
下は1974年のドキュメンタリー 焼死体の身元を探る「飢餓海峡」的企画
ニコニコ動画「顔」 ~ある飯場火災事件簿から~
もうひとつ 上の写真の不気味は、皆同じ顔というところ
同様に、たとえば複数の人間が、全く同じ記憶をひとつの視点で共有したとしたら、どこからどこまでが自分なのか
人の一番長持ちする欲望は「他人になりたい」ってことだと思う 野球選手やロック・スター、子供を動かすのはその憧れで、われわれ成長したのちも一貫して「世間の基準にあわせること」を要求される 「他人の如くふるまえ」と
都会で「自分探し」に勤しむのは己の内の他人でしかない 肉体を離れて考えれば、自分とは誰か、よくわからなくなる 私は誰ココはどこ海は死にますか山はどうですか
さすがにそれほど若くもマジメでもないオレは「わからなくてもかまわない」「そういうのは他人が決めること」でヘーキですけれども
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「記憶喪失」で思い出したのが、たしか「悪魔のティーンエイジブルース」で読んだコラム うろ覚えご容赦
SOFT,HELL!悪魔のティーンエイジブルース
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事故で記憶を失なってしまった親友宛てに、ビデオレターをつくる話
彼と一緒に遊びにいった飲み屋やクラブ、海岸を撮って、ナレーションに
「××、去年の夏、お前とここでオールしたんだよ」「この便所でお前ゲロ吐いて」「女の子ナンパしたじゃんか」「思い出せ」「また一緒に行こうぜ」
記憶は自分だけのものじゃない 何とも切ない話でした
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日本に暮す様々な人々3,141人を重ねた肖像
顔出し看板展示館
「好きになった」: 彼女の名前 彼女の顔
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