「OK、マジではっきりさせておこう。カメラの前で言っておく」 |
*英放送局BBC News、2009年4月の記事
「Where they keep the paedophiles」を紹介したい
これ未成年強姦魔や小児猥褻犯ばかりを強制収容しているカリフォルニアの精神病院を取材したレポートで、
同時期に放映されたTVドキュメンタリー番組「A place for Paedophiles」の解説文としても読めます
が映像よりレポのほうが面白い
You Tube (英語:英字幕は右下の「cc」をクリック→音声を文字に変換→OKクリックで出現)
児童ポルノ規制でケンケンガクガク大騒ぎしてるわが邦ネット界ではしかし、ワリカシ知られていない話?じゃないかナ?
以下全訳する 誤訳指摘よろしく 原文
カリフォルニア州、小児性虐待の再犯者たちは、快適な精神病院へと収監され、 |
*「この絵はいったいどういうこと?」
ハイ・スクールの体育教師だった人だ。生徒への強制猥褻で有罪判決を受けるまでは。
「こと男の肉体美にかけちゃ、私は目利きだよ」と彼。
案内された部屋の壁には男の裸をかたどった古典彫像写真が飾られていた。目が点になったね。
古代ギリシャの名高い男色礼賛趣味を盾に、
己の性癖を正当化するペドフィリア(小児性愛者)の存在は知っていたから。
壁にはバレエ・ダンサーの若い男たちを描いた複製画もある。はっきり性的な含みをもった絵だ。
性犯罪者の治療施設で、患者が自室をやや性的なポスターで飾るのはOKなんだろうか?
僕からすれば、とうぜん規則違反に思えるけれど。
一緒に居た、リグビー氏担当ソーシャル・ワーカーはこう答えた。
「彼も子供じゃないからね」
リグビー氏は4人の相部屋に住んでいる。広々して風通しよく、大きな窓に鉄格子はない。
既婚者のかれには子供が2人。
でもここCoalingaでまた別の男と肉体関係を続けているという。その相手も小児わいせつ犯だ。
*居心地のいい収容所
そういったリグビー氏の性生活もまた、この精神病院では許されているらしい。
セラピストの言うに、かれのリハビリは順調だ。
カウンセリングとグループ・セッションを受け続ければ、理屈では、一年もしないうちに社会復帰できる。
Coalinga病院でおどろいたことのひとつ。
およそ800人の性犯罪者が集められ住むこの施設は、実に居心地がいい。
開かれて広い室内エリア―ショッピング・モールと似ていることから「モール」と呼ばれる―には、
床屋や喫茶店、小さな図書館が用意されている。
テニスコート、エクササイズ機器、設備の整った体育館には音楽が鳴り響く。
アート・セラピークラスに立ち寄ったり、試聴室へと足を向ける患者たち。
大体のところ、豪華な全寮制の新築校舎を思い浮かべれば間違いない。
しかしCoalingaが学校と全く違うのは、
ここがカリフォルニアで深刻化している小児へのわいせつ犯や強姦犯たちを
最高級の保安設備で閉じ込めている病院施設、という点だ。
釈放された性犯罪者たちへの社会不安に応えた新政策。
その主力施設がCoalinga精神病院なのだ。
Coalingaの住民たちは全員、刑期をすでに終えている。
だが、精神病と診断された者たちをそのまま社会に解放するかわり、
もう一度監禁することが可能となった。―こんどは無期限に。刑務所でなく病院の中に、だ。
*閉じ込められた「ミスター」たち
Coalingaの快適な環境は政策の一環だ。ここは処罰のための施設ではない。
患者たちはすでに刑務所で刑期を済ませている。
病院の趣旨はあくまでも、かれらの精神的健康の回復だ。
ある意味、この種の公的抑留施設は、当局が見出した法の抜け道なのだ。
「性犯罪者を長期にわたって隔離すべき」と人々が行政に対し要求した結果だ。
すでに判決ずみ、刑期を務めた元受刑者を
なお閉じ込めるには「入院」の一手しか術がない。
そこで患者たちは「性暴力の捕食者(Predator)」として、
カリフォルニアから法的に類別され、
高い鉄条網のフェンス内に閉じ込められる。
しかしその一方、折りにふれ、度が過ぎるほど、彼らは丁重に扱われている。
「患者」は卑屈な言葉とされ、拘留者は「いち個人」として扱われる。
会話に彼らの名をあげる際、職員たちは「ミスター」をつけて呼ぶ。
誰もここからは出られない。が、他の規則は驚くほど寛大だ。患者は選挙に投票できる。
―病院規則への抗議のしるしに己の足指を切り落とした精神異常の強姦犯。かれはオバマに入れたという。
彼らはここでポルノを見られる。子供の登場するTV番組やレンタルDVDの視聴には何の禁則もない。
病院では、健康的な雰囲気作りのため定期的にイベントが催されている。
お招きに預かったハロウィン・パーティの晩、私はシュールな光景を目の当たりにした。
15人あまりの性犯罪者たちが「アダムス・ファミリー」の主題歌を歌っていたのだ。
来週のタレント・ショウにむけて―チラシに曰く「Coalingaのアイドルを探せ」
*小児性愛は「治療不能」
「恐怖や不安、依存をセラピーで乗り越えよう」
だがセラピストやソーシャル・ワーカーたちの割り切った仕事ぶりは、患者たちの意識と全くかみあっていない。
そもそもペドフィリアの傾向要因は遺伝かはたまた環境か、意見はバラバラで一致しない。
にもかかわらず、Coalingaのセラピストたちは口を揃えて言う。「小児性愛という病は全治不可能だ」
患者が子供に性的欲望を抱くのは、一種の「社会的順応」と思われる徴候があり、
いわゆる「正常愛」へのリプログラミングはむつかしいという。
セラピーに参加した患者は、計画に沿ったグループ・ミーティングとカウンセリングを繰り返す。
―アルコール依存脱出プログラムのように。
プログラムの初期段階で、彼らは己の性犯罪を、警察には告げなかったことまでも含め、全て詳細に報告する。
被害者への共感を学ぶのだ。
患者は心に浮かぶ思念を観察し、病的な夢想を追い払う術を学び、
セラピストは患者の「認知の歪み」や「じつは子供は大人とセックスしたいのだ」などという妄想と戦うこととなる。
患者たちは嘘発見器に加え、プレスチモグラフと呼ばれるセクシャル・テストをうけている。
被験者のペニスに器具を取り付けて様々な画像を見せ、勃起率から興奮度を測るものだ。
*自己去勢して人格改良
プレスチモグラフに使われる画像には18禁ポルノもある。
暴力的な性行為を連想させるものや、子供たちが果物を食べたり、水着で走りまわる図。
これは一般に、性的興奮とは程遠いイメージだ。
僕の会ったうちで、少なくともひとりは、ラム氏は人格が改良されたようにみえた。
40代後半の彼は、ティーンを狙うわいせつ常習犯だった。被害者にはふたりの実娘も含まれている。
刑務所に入っても彼の性癖は治らない。ようやく変わりはじめたのは性暴力捕食者治療プログラムがきっかけだ。
かれはセラピーを評価しつつも、自分の場合、去勢で変われた、と語った。
ペニスを切り落とすことで、頭の中を占めていた小児への性的欲望から解放された、と。
Coalingaのプログラムに去勢は含まれていないが、自発的処置はできる。
齢60に近いプライス氏。Coalingaではじめて僕が話した人だ。
幾度となく性犯罪をおかした彼は日曜学校の教師だった。
膨大な被害者リストの大半は、かれが教会で知り合った少女たちの名前だ。
プライス氏は自己セラピー・プログラムに打ち込んでいる。
思考をメモにとり「日誌」として長大なノートに記録し、過去の性暴力を繰り返し噛み締め過ちを悔いている。
だがCoalingaの抱える一番の問題は、大多数の患者が全治療を拒否していることだ。
かれらはまず刑務所へ、それからCoalingaに移送されている。
はじめにここに送るべきではないか、多くの者はそう考えている。
かれらは拘留の原因、つまり彼らの犯した罪が、精神病ゆえとは思っていない。
償いは済んだ、拘留は解かれるべきだ、
セラピー・プログラムは彼らを永久に閉じ込めておくためのお遊びに過ぎない、と。
*21世紀の座敷牢
セラピーを受けない患者たちには、かれらの精神に問題がある、との見解に腹を立てるものもいる。
そのひとり、ヤーン氏に聞いた。治療が必要とは思わない?
「頭痛で『治療』を受けるかい?」
あれは酒の上の過ち、と治療を避ける患者もいる。幼児への痴漢行為はアルコールの所為だ、と。
―少々飲み過ぎれば誰だってペドフィリアと化す、そう言わんばかりだ。
妄言ばかりとは言い得ない。治療拒否側の主張にも一理ある。
導入10年を越えた性暴力捕食者治療プログラム(SVP)の記録によれば、
Coalingaの門をくぐった数百名のうち、セラピーによって回復し、
病院を出たのはたった13人だけなのだ。
お仕着せ治療を疑って抗う患者たちとCoalinga病院とは相互不信で隔てられている。
心療専門用語が飛び交う快適な雰囲気にもかかわらず、
大多数のCoalinga患者にしてみれば、ここは刑務所や倉庫で暮らすよりはマシ、
じっさい設備の整った小さな宇宙船で送り出されるよりはまだマシなのだ。
アメリカの納税者は、こういった病院への投資を惜しまない。
じつのところ、これは小児猥褻犯と強姦魔数百人を無為息災に過ごさせる施設なのだが。
患者ひとりにつきCoalingaにかかる予算は年20万ドル。
1500人で満室の病院に患者は増える一方だ。
このような治療施設助成に託された希望がどんなものであれ、結果は
アメリカがもっとも見たくない者たちを、ますますその視界から遠ざけていくばかり。
投票し、テニス・レッスンを受け、ポルノビデオを観、パーティを開き、
他の男と病院内でセックスし、ジャズ・コンボでベースを弾く男たち。
かれらに許されないのはたったひとつ、ここから出て行くことだけなのだ。
他州もCoalingaをモデルとした施設導入案にサインしている。―最近ならニューヨークが。
近所のペドフィリアたちをカントリー・クラブじみた施設に隔離し、 |
*以下解説
上記事の筆者であり案内役のルイ・セローはイギリスの人 BBCで人気のドキュメンタリー作家です
ポール・セローの息子と言ったほうが話が早いか
英国といえばWhoのピート・タウンゼントが児童ポルノサイトにアクセスしお縄となったオペレーション・オァの国
小児性虐待に厳しいことルイさん映像じゃ終始しかめっ面でした
だからこれイギリス保守層からアメリカ人権欺瞞社会への批判ともとれる記事
*「変態は治らない(でも、やるんだよ!)」と頼りねぇセラピスト、
人権(変態)VS人権(それ以外)の冷戦下、付け焼刃に楽観的なお役所仕事
平均年齢47歳の患者850人のうち治療を受け入れる者は全体の3割 (2010年8月現在)
Coalinga内「報酬システム」では、治療過程でポジティブな振る舞いをしたグループにポイントが与えられる
一日につき100ポイント 500ポイントたまると石鹸と交換できるそうです 石鹸一個じゃなくて石鹸セットと
塀の外には失業者が溢れているご時世にノンキな身分、とはいえ痴漢強姦魔の諸氏も居心地悪そうだ
とりあえずの娯楽はまかなう大型ショッピング・モールめいた精神病院に閉じ込められて
ブラブラするばかりの中年変態男たちが「人格改良」の効能怪しい心理療法を罵る図は
まさに21世紀いまどきディストピア オーウェルというよりP.K.ディックの描いた未来像であります
患者職員みなさんどっか無気力で、言ってる科白を自分で信じてない感じがたまらない たまらない虚しさ
*村八分か座敷牢か
ところで先の宿舎のエピソードに「たかが壁の絵じゃん…」て感覚、読者にあるかもしれないわね
だが、あくまで「治療」の名目で勾留している以上、アレを許すのは筋が悪い
「病人」として隔離したいだけ、目先の面倒を先送りしたいだけの本音がミエミエである
でもマァ、瑣末には違いないよなー
ゴミ出しに小煩い婆ァじゃあるまいし 何をそこまでピリピリしてんだろ?
禁煙運動禁酒法麻薬撲滅「テロとの戦争」
恐怖と不安に満ちたワイルド・ワールドからリスクゼロの未来へ、ト、
徹底的に正義を追求するのでおなじみ西欧型ヒステリーは近年児童性虐待対策に著しい
幼女強姦犯=人間のクズ、八つ裂きにしても飽き足りない、という風潮下
アメリカじゃ子供が誘拐されれば地域のTVラジオは放送を中断して情報をつのり
再犯者にGPSを着用させ、刑期を終えた性犯罪者の個人情報をネットに公開してる由
かんじんの効果はメガン法(ミーガン法)に反対するサイトに詳しいです (ミーガン法のまとめ @ macska dot org)
悪を滅ぼす、まことに結構 ただ、どこまでやったらよしとするのか そういうこと聞くのもダメなのか
ちなみに個人情報をネット公開された元性犯罪受刑者への調査結果(2000年 国立司法研究所)では
83% 住居から追い出されたり、入居を拒否されたりした |
これを受けmacska dot orgではこう続ける
「元受刑者から住居を奪い、職を奪い、脅迫や暴力の対象とすることで、 |
フンダンに金を出した「更生支援プログラム」が、しかし豪華な収容所、Coalinga精神病院を産んでるわけで、
つまりは村八分か座敷牢どっちをとる?という話か
下は小児性愛児童虐待を描いたおすすめ作品 画像クリックでamazonリンクに飛びます
「好きになった」: どこから変態どこまで愛 海外ネット炎上獣姦ドキュメント映画「Zoo」
「好きになった」: 殺人記念品(マーダービリア)アート?それとも被害者いじめ?
小児性愛の実態 アメリカメディアが現地潜入リポート ―You Tube
人身売買:10時間で子供を買う方法―You Tube
ロリペドやめる友の会―ペドフィリアから波動へ
デスアイサツとゲーム脳、知らない人に挨拶したら死ぬ世界―こどものもうそうblog
精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的視察―近代デジタルライブラリー
精神病者を閉じ込めていたわが国座敷牢の実態図 こんな
幼女レイプ被害者数統計―警察庁「犯罪統計書」による
(引用画像はYou TubeとBBC、Coalinga State Hospital: Home Pageより)
2 件のコメント:
>悪を滅ぼす、まことに結構 ただ、どこまでやったらよしとするのか そういうこと聞くのもダメなのか
これって、まさにトッド・ソロンズが「ハピネス」シリーズで投げつけていた疑問ですね。
我々は何をもって、どこまで赦すことができるのか。
そこに目を瞑ったままで、エンドラインの引かれない半永久の罰だけが成立している社会。
この前ブログで「ハピネス」続編の"Life during Wartime"の感想を書いたんですが、そこで引用した監督へのインタビューの一節が思い出されます。
Look, pedophilia in and of itself I have no interest in. But as a metaphor for that which is most demonized and most ostracized, I don’t think you could top it. I think if you ask any American, they’d much rather have Osama Bin Laden at their dinner table than a pedophile. Even though they may already have had pedophiles at the table and just not known it. It becomes a kind of test, a crucible. People say, “I love humanity,” but what does that mean? Humanity’s abstract. It has no real substance. We are all defined by our limitations. To what extent can we open ourselves up to that which is most-demonized; that which is most-“other.” Can we embrace everyone “except”? Except what? What are those lines? And what does it say about us?
( Read more: http://www.hollywoodchicago.com/news/11465/interview-todd-solondz-examines-how-to-survive-life-during-wartime#ixzz0yowEa5hl )
「赦し方」がわからなくなって手に余ってしまっているものを、臭いものに蓋するように市井の生活圏の外に押し込めて、あとは考えることをやめる。その象徴のような収容所だな、と思いましたね。
リンクありがとう!アメリカじゃ「Life During Wartime」観られてうらやましいのぅ
http://d.hatena.ne.jp/deadcalm/20100818/1282120717
「ペドは人間じゃない!全員死刑」VS「レイピストだって人間だ 差別主義者共が!」
正義VS正義の硬直に対し「その人間って何なんだ」は至極真っ当な疑問だと思います 問えば内実それぞれ違っているはず
ソロンズのテーマ、「人間」は「人間じゃない」とされている対象とどう付き合えばいいのか
これってワリと日常的に、たとえば痴漢やヤクザ浮浪者を見かけたり、子育て介護なんかでも折りに触れ考えざるをえないトピック
でも、もともと非合理な宗教が担っていた「赦す」機能は、こんな収容所建てちゃう「人間」中心人権社会が肩代わりできるわけもないよねぇ
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